【福岡校塾長】

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西村 悟


名前:にしむら さとる
生年月日:1983年6月8日

■福岡県古賀市出身の元プロ野球選手。
阪神タイガースに所属する西村憲(投手)は実弟。憲が野球を始めたのは悟の影響であると述べている。
 

【経歴】



フレンズ-九州古賀-東福岡-東海大学-独立

■東福岡高時代は、秋の明治神宮大会優勝、2001年の春のセンバツでベスト8の結果を残す。その後、東海大学に進学。
大学卒業後、2006年に四国アイランドリーグ(現:四国アイランドリーグplus)の徳島インディゴソックスに入団。同年は、ベストナインに選出された。

■2007年11月1日、福岡レッドワーブラーズと長崎セインツの新規参入による分配ドラフトで福岡への移籍が決定。12月1日付けで移籍した。

■移籍1年目の2008年は、首位打者のタイトルを獲得し、ベストナインにも選出された。
2009年9月11日、愛媛マンダリンパイレーツに移籍。

■2010年のシーズンは本塁打・打点の2冠を獲得した。シーズン終了後、自身の申し出により退団。

 

 

【福岡校コーチ】

 

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中村 真崇


名前:なかむら まさたか
生年月日:1983年11月7日

中村 真崇(なかむら まさたか、1983年11月7日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。

 

【経歴】

 

水巻レンジャーズ-東筑高校-立命館大学-JR東日本-独立-広島カープ

 

東筑高時代は、甲子園出場経験は無し。同級生に山本翔(元広島東洋カープ)がいる。

 

高校卒業後は、関西学生野球連盟に加盟する立命館大学に進学。3年時の春に外野手のレギュラーに定着すると、4番を務めリーグ戦優勝に貢献。自身は、外野手でのベストナインに選出された。第53回全日本大学野球選手権大会に出場したが、初戦敗退に終わった。3年時の秋は、三塁手としてプレー。4年時は、主将としてチームを引っ張った。リーグ通算64試合に出場、204打数59安打、打率.289、2本塁打、23打点。

 

大学卒業後は、社会人野球のJR東海に入社。1年目の2006年から、第77回都市対抗野球大会に出場するも2回戦で敗退。2年目の2007年は怪我で試合に出られず、また当時の監督だった家接順也[注 1]の「プロを目指す場所ではない」という方針の元でのチームプレーばかりを徹底させる練習に疑問を感じ[1]、3年目の2008年途中に退社。

 

2008年9月3日、地元球団である四国・九州アイランドリーグの福岡レッドワーブラーズに入団。
2年目の2009年、4番として打率.361を記録。首位打者のタイトルを獲得し、一塁手でのベストナインに選出された。このときの打率.361は、当時リーグのシーズン記録であった[注 2]。同年のシーズン終了後、球団が経営難により翌シーズンからのリーグ戦参加の休止を表明していたため、それに伴う救済ドラフトで香川オリーブガイナーズへ移籍。

 

2010年は、5月に骨折で戦線離脱したものの、復帰してから首位打者争いを繰り広げる。最終戦で逆転され、2年連続での首位打者獲得はならなかったが、リーグ2位の打率.343の成績を挙げた。また、2年連続でベストナインに選出された。
 

2011年は、キャプテンとしてチームを引っ張り、打率.303、10本塁打を記録。また、外野手としてベストナインに選出された。

 

2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから育成2位指名を受けた。同年11月7日、自身の誕生日に契約した[2]。

 

2013年10月1日付で球団から戦力外通告を受けた[3]。10月31日、自由契約公示された[4]。

 

その後は現役を引退し、高知県に在住。

 

 

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